こんにちは。デザインチームのYです。
いきなり上のような画像を載せてしまい失礼致しました。
この画像は、最近思いついた風俗のかたちを
少し具体的に示したコンセプトビジュアルです。
今回は、このコンセプトビジュアルが生まれるまでの
経緯をお話をさせていただこうと思います。
前置きが長いので、読まなくても結構ですが、
でも面白いから全部読んじゃうと思います(^u^)
むかしむかし、日本には夜這いをする風習がありました。
男の子は12、3歳になると、同じ村の女の子のもとへ
夜這いに行かされるのです。
それくらい、おおらかなセックスをしていた日本人ですが、
明治時代以降は外国の文化や宗教的な言葉が入ってきたり、
やがて家制度が始まることも相まって、
結婚する女は処女でなければならないという考え方が強くなります。
女の子がこれですから、その頃にはまだ風俗らしいかたちはありませんでした。
現代の風俗の原型が見え始めたのが、特殊慰安施設でした。
1945年のことです。
敗戦の日から数えて、わずか10日ほどでの設立と記憶していますが、
そのようなスピードで、しかも国がつくったというのが、世界的にも稀でしょう。
この特殊慰安施設に女の子を集めるため、
「新日本女性に告ぐ 被服、宿舎 食糧全部当方支給!」とだけ
書いた広告を銀座の街などに貼っていました。
具体的な仕事内容には一切触れていません、、、政府とはひどいものです。
でも、今の風俗求人募集とそんなに変わらないから面白いですね。
1980年、ノーパン喫茶が誕生しました。
これは非常にグレーな風俗でしたが、
女の子にとっては風俗ではなかったのです。
そして、風俗と一般の仕事との境を曖昧なものにしてしまいました。
こうした世の中の動きと同時に、女の子の処女性は、
かつてのおおらかさを取り戻すかのように失われ、
むしろ処女なんて早く捨ててしまいたいという願望さえ芽生えるのでした。
さて、話は少し前後して、
現代風俗の大きな礎をつくったトルコ風呂(ソープランド)の紹介です。
初めのうちは性的なサービスなど一切ありませんでしたが、
数年のうちに、射精産業へと向かいました。
ノーパン喫茶が良い例ですが、射精を伴わない風俗店はつぶれるか、
射精を伴う別のサービスへ移行していくという風俗の大原則があります。
現代風俗の大きな礎とは、トルコ風呂の技術革新です。
ざっと次のようなものです。
1953年
オスぺ(手コキ)
ダブル(おさわり)
おフェラ
1961年
椅子洗い
1968年
ベッドマナー(全身リップ)
1969年
泡踊り
1971年
スケベ椅子
コスプレ
この技術革新の歴史が、今日までのトルコ風呂の原動力なのです。
つまり風俗の歴史は、女の子の歴史であり、
技術革新の歴史でもあるといえるでしょう。
しかし今の風俗はどうですか。
デリヘル・ホテヘルが誕生してこの10年の間に、
何の技術革新もないまま、今日を迎えているのです。
昔と変わったことと言えば、インターネットの環境です。
風俗とそれを上手く絡めることが、ヒントなのは間違いありません。
そして「女の子に、何をさせて、どう射精させるか」にどう結びつけるか。
これを私はずっと考えていまして、
いよいよ、最初の画像の話に辿りつくわけです。
はい…、ここまでが前置きでした\ (^○^)/
上の画像は、テクニック追求型ヘルス、
略して『テクヘル』のコンセプトビジュアルです。
未経験の素人ばかりが、もてはやされる現状に、
一石を投じたい思いから生まれました。
女の子にとっては、必殺技を出すのが苦になってしまい、
やっぱり楽して稼げるお店で働きたいという心理もありますから、
必殺技だからといってハードな技でなくても大丈夫。
楽しんで必殺技ごっこをしてもらい、
お客様の心をガッチリと掴むおもてなしをする、それこそが必殺技です。
どうでしょう?
このアイデアに賛同していただける方がもしいたら、ぜひご連絡ください!