風俗男性求人「幹部ナビ」は、東京・横浜・埼玉でデリヘル・ホテヘルを大規模展開するシンデレラFCグループの高収入求人サイトです。
未経験から始められる充実した研修制度で、異業種からの転職者が80%以上!

CLOSE

立ちんぼが増えているって本当? 戦後の立ちんぼ&パンパン事情をまとめて紹介!

日本の裏風俗と聞いてぱっと思いつくものと言えば、ちょんの間や立ちんぼなのではないでしょうか。

条例の改正や取り締まりの強化で摘発が相次ぎ、次第にその姿は消えつつある一方、立ちんぼはまだ根強い人気もあるようです。

最近では外国人観光客が増加したことにより、都内の一部では立ちんぼの需要が復活しているという噂も耳にします。

今回はそんな立ちんぼについて、戦後から現在までの歴史などを交えて紹介していきます!

戦後を彩った立ちんぼ=パンパンって何だ?

売春は世界最古の職業であるとよく言われます。

街角に立って客を引く売春婦=立ちんぼは、日本でも古くは“立君(たちきみ)”という名称で室町時代から存在したようです。

また、江戸時代には、政府公認の遊廓に属さずに街角で立ちんぼをする私娼“夜鷹(よたか)”がいました。

こうした立ちんぼの歴史に一大変革が起きたのは、第二次世界大戦後のことです。

敗戦国の日本に占領軍(GHQ)がやってくると、政府は外国人将校たちの性欲のはけ口としてRAA(特殊慰安施設協会)と呼ばれる慰安所を設けました。当時、RAAでは55,000人にも及ぶ慰安婦が働いていたと言われます。

しかし、設立翌年の1946年にはGHQの通達によってRAAは廃止されてしまいます。それによって大量の売春婦が職を失い、街に立ちんぼ(街娼)が激増したのです。

こうした立ちんぼのうち、主に米兵の相手を務める立ちんぼはパンパンと呼ばれました。

パンパンの語源については諸説あります。

インドネシア語で女性を指す『プロムパン』という言葉が転化した説。

“人目を引く”を意味するフランス語『パンパント』が米兵から伝わり、転化したという説。

他にもセックスで腰を振る時の「パン、パン!」という音が語源という説や、イギリス軍が使用した対空砲『ポンポン砲』を語源とする説……etc。中には、パン2個でついてくるほど尻軽という意味で名付けられたという説もあります。

 

ひと口にパンパンと言っても、売春する相手によって様々な呼び名があったようです。

白人専門に売春をするパンパンは『洋パン』、『白パン』、『ヤギパン』(白人の肌がヤギのように白いことから)。

これに対し、黒人専門は『ブラパン』(ブラックパンパンの略。ブラ下がりパン助の略という説もある)、『黒パン』と呼ばれていました。

パン助(すけ)』とはパンパンの別の呼び名です。江戸時代に銭湯で客の背中を流していた男性従業員の蔑称“三助”をもじったもので、主にパンパンを侮辱する言葉として使われました。

さらに、日本人専門の街娼を指す『和パン』。売春以外にマッサージも施す売春婦を指す『パンマ』という呼び名もありました。

 

歴史に名を刻まれた有名立ちんぼ名鑑

当時、パンパンたちの収入格差はかなり激しかったようです。

最も高級取りだったのは『オンリー』と呼ばれるパンパン。彼女たちは不特定多数の兵士を相手にせず、特定の上級将校と愛人契約を結んでいました。

相手が決まっていないパンパンは『バタフライ』と称され、それこそ蝶のように街角を舞いながら日銭を稼いでいました。料金は、当時のレートで200円~1,000円。中には食料や衣類、石鹸などと交換で売春するケースもあったとか。

また、客を引く地域によっても価格差がありました。

東京を例に取ると、料金が高いとされていたのが有楽町、新橋界隈。当時はラクチョウ、バシンと呼ばれていました。次いで高額だったのが、新宿(ジュク)。さらに池袋(ブクロ)、上野(ノガミ)というランキングだったようです。

これらの縄張りにはパンパン=立ちんぼたちのグループが存在し、それぞれにリーダーがいました。

ざっと挙げると、有楽町を仕切っていたラクチョウ一家(リーダー:ラクチョウのお時)、新宿三丁目界隈を仕切ったローズ団(リーダー:ジュクの良子)、上野のアメヤ横丁を根城にした血桜組(リーダー:ノガミのスミ子)など。

他に、池袋にバクダン一家の大政・小政コンビ、新橋にはバシンのお文と呼ばれる立ちんぼもいました。

このうち最も知られているのは、有楽町でラクチョウ一家を率いたラクチョウのお時でしょう。


ラクチョウのお時
(18年10月8日放送『かたせ梨乃が進駐軍の前で踊り狂った時代…とマツコ』日本テレビより)

ラクチョウ一家は、立ちんぼ500名を配下に治める都内最大の組織でした。新宿のローズ団が300余名、上野の血桜組が約100名だったと言いますから、その規模の大きさがわかるというものです。当時、一家は数寄屋橋から銀座4丁目までの一帯を縄張りにしていたと言われています。

ラクチョウのお時は、当時19歳だったそうです。都内の女子商業学生時代に空襲で両親を亡くし、有楽町の日劇地下で寝泊まりしていたところを初代リーダー・夜嵐あけみ嬢に見出され、立ちんぼ稼業に足を踏み入れました。

彼女の名前を一躍有名にしたのは、NHKのラジオ番組『街頭録音』での街頭インタビューでした。

ちょっと長いのですが、放送された内容を抜粋します。

「そりゃ、パン助は悪いわ、だけど戦災で身寄りもなく職もない私たちはどうして生きていけばいいの、好きでこんな商売をしている人なんて何人もいないの、それなのに苦労して堅気になって職を見つけたって、世間の人は、あいつはパン助だって指さすじゃないの。私は今までに何人も、ここの娘を堅気にして送り出してやったわよ。それがみんないじめられ追い立てられて、またこのガード下に戻ってくるじゃないの。世間なんていいかげん、私たちを馬鹿にしてるわ」

インタビューが「ガード下の娘たち」のタイトルで放送されると、たちまち大反響を呼びました。しかし、この街頭インタビューは実は隠し撮りで、お時自身は自分の声が放送されることを知らなかったと言います。

この放送内容が他の立ちんぼたちに煙たがられ、結果的に彼女は有楽町から追放される憂き目にあってしまいます。その後、千葉県で下駄の鼻緒工場に就職。のちに焼鳥屋に転職し、結婚・離婚を経てクラブママになったと伝えられましたが、以降は消息不明となりました。

 

歴史に名を残した立ちんぼと言えば、もう一人、横浜の伝説的な娼婦・メリーさんの名も忘れることはできないでしょう。彼女に触れずして、戦後のパンパン=立ちんぼの歴史は語れないといっても過言ではありません。

メリーさんについては、書籍や映画などで数多く取り上げられていますので、また機会を改めて彼女の半生をまとめることにします。どうぞ、お楽しみに。

 

街娼の歴史が今も息づく、全国立ちんぼ出没スポット

街娼、パンパン、あるいはストリートガール……etc。

時代の変遷につれて様々な名称で呼ばれてきた立ちんぼ。規制強化によってその数は激減していますが、今でも「○○で立ちんぼを見た」といった類の話はよく聞きます。

立ちんぼは、旧赤線/青線地帯やラブホ街などに出没するケースが多いと言われます。

ここでは、そんな都市伝説が囁かれる地域をまとめてみました。あくまでも噂レベルの未確認情報に過ぎませんので、気になった方はぜひご自身で調べてみることをおすすめします。

【北海道】札幌狸小路界隈、函館大門横丁界隈

【青森県】青森駅前電話BOX界隈

【宮城県】本町・家具の街界隈

【山形県】道の駅天童温泉界隈

【東京都】

[23区]
歌舞伎町ハイジア前界隈(新宿区)、池袋駅北口界隈(豊島区)、
鴬谷駅北口ラブホ街界隈(台東区)、錦糸町駅南口界隈(墨田区)

[23区外]町田駅南口界隈(町田市)

【長野県】北野文芸座界隈

【静岡県】浜松塩町児童公園界隈

【愛知県】名古屋金山駅前界隈

【京都府】四条河原町高瀬川沿い

【大阪府】千日前地下噴水広場界隈

【広島県】比治山町京橋川沿い

【香川県】高松瓦町駅東口界隈

【福岡県】久留米駅前界隈

【沖縄県】那覇波之上ビーチ公園界隈

 

【まとめ】立ちんぼは裏風俗、遊ぶなら自己責任で!

立ちんぼ/街娼について、主にパンパンの歴史を背景に紹介してみましたが、いかがだったでしょうか?

言うまでもないことですが、立ちんぼは非合法です。オモテ風俗と違って安全とは限りませんので、遊ぶ際は自己責任でお願いします。

ちなみに、この記事は裏風俗を推奨するものではありません。あくまでも雑学として紹介するものなので、あしからずご了承ください。

←前の記事 次の記事→

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
廓だん吉

廓だん吉

自称・風俗ウォッチャー。高校卒業後、金津園で童貞を喪失したのをきっかけに風俗遊びにどっぷりハマる。風俗雑誌の編集をしていたこともあり、仕事とプライベートで接した嬢の人数は軽く一千人以上。


コラム最新記事

ご応募はお電話でも受け付けています
現役マネージャーブログ
風俗雑誌元・編集長Kコラム
HTMLコーダー募集中!
英語スタッフブログ!