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江戸時代のセックス事情~花魁、遊女の避妊法から性のテクニックまで~

日本の風俗業界を語るうえで外せない遊廓の歴史。

前回のコラムでは遊廓の日常生活について書きましたが、今回はもっと気になるシモの部分=遊女のセックスライフをご紹介。

主に、江戸時代の遊郭にスポットを当ててまとめてみます!

花魁道中の「外八文字」は名器鍛練法だった!?

遊郭に売られてきた女性は、その日のうちに遊廓主に検分され、女性器の見た目を品定めのうえ味見されるのが習わしでした

検分によって、まずは女性器にランク付けが行われます。

最も優れた名器は上品(じょうぼん)と呼ばれ、肛門からクリトリスの間が二寸五分(8cm)ほど離れていて高い位置にある女性器が最高ランクとされました。

現代風に言えば「上付き」といったところ。セックスの時に男性が腰を落とさず深く挿入できるのがよいとされました。さらに大陰唇がふっくらして、挿入時に男根を包み込んで膣へ吸い込むような女性器ほど商品価値が高いとみなされていたようです。

中級ランクはよくも悪くも「並」で中品(ちゅうほん)と呼ばれました。最低ランクの下品(げぼん)は肛門から陰核の間が二寸五分以下の下付き。抜き差しの際、男根が曲がってしまい後ろからしか挿入できないため、遊女として成功は難しいとされました。

遊廓主は女性器が上品か下品かを目視したのち、実際に男根を挿入してみて具合を試し、遊女として使えるかどうか確認しました。

あくまでも品定めなので、売り物を傷つけないよう根元までは挿入せず、射精しない程度に抜き差しを二十~三十回ほど行ないました。相手が処女だった場合でも容赦せず、同様にテストを行なっていたと言われています。

遊廓主の検分によって、遊女は「天神」か「」に等級が分かれます。「天神」はエリート遊女である太夫候補で、性技はもちろん、芸事も習わせて高い教養を身につけさせました。

それに対し「端」は性技を中心に教え、主に遊び時間が短くて単価の安い客を相手させていました。昼見世(昼間の営業)での接客は五人を上限で、あとは泊まり客の相手をしていたようです。

ちなみに、女性器の良し悪しは生まれつきですが、後天的に鍛錬して名器に近づけることもありました。花魁道中では「外八文字」という独特の歩き方をしますが、この歩行方法は括約筋を鍛えるのに効果があったと言われています。

 

遊女はどうやって下半身ケアしていたのか

遊女は商売道具である女性器の手入れを怠りませんでした。まず、陰毛は抜くか、線香で焼き切っておきます。これはセックスの際に毛切れを防ぎ、性病予防にもなりました。

性器が異臭を発したら、細かく刻んだ干し大根を膣に入れて排尿のたび入れ替えました。そうすることで、三十日間もすれば匂いは消えたそうです。

黒ずんだ女性器をごまかすには、くちなしの実が用いられました。粉状にして膣に入れると血色を取り戻したと言われています。

女性器の締まりが悪い場合、大陰唇や足の付け根にお灸を据えたと言われています。一日10回ほど、忌日を避けて30日間続ければ絶大な効果が得られたとか。また、客をとった後には必ず厠(トイレ)に入って手桶やたらいに汲んだ水で女性器を洗浄したそうです。

 

フェラから69まで…現代の性技は江戸時代に完成されていた

売れっ子になる遊女の条件は「一に顔、二に床、三に手」と言われました。顔はもちろん美貌を指します。床はセックスの技。手とは手練手管のことであり、男に惚れさせるモテテクニックのことです。

遊女は気を遣る、つまりイクことを恥としていました。自分はイカずに体力を温存し、客の性欲を満足させることにプライドを抱いていたのです。そのため、イッてもないのに「イクイク」と絶頂に達したふりをするのは日常茶飯事でした。

どうしてもイキそうになった時は、膣と肛門の間にある蟻の戸渡り(ありのとわたり)の部分を強く指で圧迫して下腹を押さえました。そうすることで性的興奮が抑えられ、気を遣ることを避けられたと言われています。

遊廓は単なる買春というよりも擬似恋愛を楽しむ場所といった性格が強く、客をいかに精神的な満足に導くかが床上手の流儀とされていました。

そのため、遊女は射精のタイミングを見極める術に長けていました。挿入は最後で手短に済ませるのがカギ。挿入前に半ば射精させておく裏技まであったと言われています。大切な商売道具をやたらと酷使していたのでは、とても身がもたなかったのでしょう。

体位にもすでに様々なバリエーションがありました。

基本的な体位は「前向位」「背向位」「男上位」「女上位」の四種類。体位の数は四十八手と称されるが、当時のセックス指南書にはそれを上回る型が紹介されています。また、遊女二人に客一人の「二輪車」プレイも当時すでに人気だったようです。

当然、吸茎(フェラチオ)なども行われていました。書物にはこう記されています。

客を寝かせ、睾丸を揉み解しながら口に咥え、抜き差ししても抜けないように唇で亀頭部分を締める。男根を口に入れたら九回深く咥え、一回は浅く。浅い時には亀頭とその付け根を舌で舐める。喉の奥まで入ることもあるので、片手で男根を握りながらすること

微に入り、細にわたる手ほどきです。吸茎は客に正対して行うのが常でしたが、いわゆるシックスナインもすでに取り入れられていたと言われています。

 

仰天!  遊女の避妊法とは

江戸時代、遊女は避妊をどうしていたかというと、これが実にいい加減なものでした。

一般的だった避妊法が「詰め紙」です。これは薄くて柔らかな和紙に唾をつけ、丸めて膣に詰め込む方法。精液が流れ込むのを紙が防ぎ、妊娠せずにすむと考えられていました。この方法は生理の際にも重宝されていたようです。

一方、男性にも避妊用具が存在していました。「兜形」というのがそれ。薄くなめした皮やべっ甲、水牛の角などでできており、湯に浸して軟らかくしたものを亀頭に被せて使っていました。現代でいうコンドームの前身と言えるでしょう。


兜形(右)

この兜形にはいわゆるペニス増大器の効果もあり、女性の快感を高めるので遊女からも悦ばれたとも言われています。

当時、江戸では『四ツ目屋』という性具・秘薬の専門店がありました。今で言うアダルトショップです。江戸時代後期に、この『四ツ目屋』が亀頭帽なる日本で初めての本格コンドームを発売。絹でできた粗末なものでしたが、大変重宝されたと言われています。

同時期に、オランダ舶来品の「ルーデサック」=別名「茎袋(きょうたい)」と称するコンドームもありましたが、高価な割には使い心地が悪く、効果もいまいちだったとか。

『四ツ目屋』の看板商品には、江戸版バイアグラとも言える「長命丸(ちょうめいがん)」がありました。精力剤の一種ですが、いつの世もEDの悩みは深刻なようです。

女性用に避妊薬も販売されていました。

朔日丸(ついたちがん)』は毎月一日に飲めば避妊できると言われていました。今で言うピルのようなもの。一服100文(約2,000円)ほどで購入できたそうです。

また、「月水早流」という薬もありました。1日3服、塩を入れた湯で飲む粉薬で、値段は372文(約7,440円)と非常に高価だったようです。しかし、「朔日丸」も「月水早流」も成分は不明で、どちらもあまり効果はなかったようです。

これらの薬以外に民間療法も盛んでした。当時は避妊薬としてホオズキが重宝され、挿入の前にホオズキの根を煎じた湯を飲むと妊娠しないと信じられていました。ホオズキの根を乾燥させ、膣内に挿入して子宮口に塗り込めるとよいとも言われていました。

 

江戸時代の性事情まとめ

江戸時代にスポットを当てて遊女の性事情を紹介してみましたが、いかがだったでしょうか。

性具や性医学はめざましい発展を遂げましたが、セックスのバリエーション自体は江戸時代も現代もほとんど同じ。

やっぱり日本人って今も昔もスケベ人種だったってことですね!

ニッポン風俗の源泉・遊廓社会の実態とは

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廓だん吉

廓だん吉

自称・風俗ウォッチャー。高校卒業後、金津園で童貞を喪失したのをきっかけに風俗遊びにどっぷりハマる。風俗雑誌の編集をしていたこともあり、仕事とプライベートで接した嬢の人数は軽く一千人以上。


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