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【ニッポン性風俗の実話】遊廓社会の仕事内容とは

日本の性風俗を語る上で外せないのが、遊廓(ゆうかく)。

遊廓と聞いても、ピンとこない方が多いかもしれません。あるいは「遊廓?それって吉原のことでしょ?」なんて思っている方もいるのでは?

確かに吉原は日本最大級の遊廓でしたが、遊郭は他にもたくさんあって各地に存在していました。

遊廓の歴史を知れば風俗遊びがもっと楽しくなります。というわけで、今回は知っているようで知らない遊廓についてまとめます!

そもそも遊廓ってどんなところ?

遊廓とは、娼婦(遊女)を一カ所に集めて商売させていた政府公認の売春街です。単に「(くるわ)」とも呼ばれていました。「廓」は「城郭」のように囲われた区画を意味します。人の往来を制限し、風紀を統制する目的で一区画にまとめたことからこう呼ばれました。

遊郭には、他に傾城町(けいせいまち)、花街(はなまち)、色里(いろさと)、色町(いろまち)、遊里(ゆうり)などの呼び名もあります。

遊女と呼ばれる娼婦は、平安時代頃にはすでに存在していたと言われます。

室町時代に入ると、幕府は遊女の取り締まりを強化して税金を徴収するように。1528年には「傾城局」を設置し、遊女を幕府の管理下で営業させるようになりました。

安土桃山時代には遊女を一カ所に集めた遊廓が誕生しました。一説では天正17年(1589年)、豊臣秀吉が京都に開いた柳原遊郭が遊郭の始まりとされています。

その後、大阪、江戸をはじめ、各地に遊郭が増えていきました。江戸の吉原遊廓、大坂の新町遊廓、京都の島原遊廓日本三大遊廓と呼ばれます。また、これに長崎の円山、三重の伊勢古市(幕府非公認)を加えて日本五大遊廓と呼ぶ場合もあるようです。

 

遊廓の実態! 生活やしきたりは厳しかった

遊廓で働く遊女は、ほとんどが借金のカタに身売りされた女性だったと言われます。

女衒(ぜげん※後述)が連れてくるこれらの童女は禿(かむろ)と呼ばれ、先輩遊女の下で厳しい修行を積みます。先輩の身の回りをしながら遊廓でのしきたりを学ぶのです。

こうして15歳ぐらいになると「新造(しんぞう)」として遊女デビューを果たしました。

ちなみに、この年齢でデビューするのは「留袖新造(とめそでしんぞう)」と呼ばれる中級レベル。その一方、高級レベルは「振袖新造(ふりそでしんぞう)」と呼ばれ、17歳ぐらいになるまでさらに芸事などをみっちりと仕込まれました。

当時の遊廓には「年季は最長10年、27歳で年季明け」という原則がありました

つまり、10年間は働き、27歳で引退という意味。しかし、引退までに梅毒などで死亡したり、身受け(借金を支払って自由の身にすること)されたりする者もいました。

余談ですが、身受けの金額は下級クラスの遊女で40~50両(現在の金額で400~500万円)、中流クラスの遊女は少なくとも100両(約1,000万円)、花魁(おいらん)と呼ばれるともなると1,000両(およそ1億円)以上が必要だったとか。

年季が明けた遊女には色々な進路がありました、遊廓に留まって上級遊女の雑用係となる者もいれば、商人や職人と結婚したり、武士や商人の妾になる者、宿場町の遊女になったりする者もいたと言います。

そんな遊女の生活はかなり過酷だったようです。

吉原遊郭を例にとってみると、午前2時~6時まで客と寝床を供にし、客を送り出した後は朝10頃までわずかな仮眠とり、昼からは昼の部が営業開始。宴席にはべったり、客の世話をしたり……といったハードなスケジュールでした。

正式なお休みは正月と盆の年2日だけで、生理の時もまともに休ませてもらえなかったと言われます。一見華やかに見える世界ですが、大変だったことがうかがえるでしょう。

 

遊廓の人々~遊女を支えた人たち~

遊廓主

楼主とも呼ばれた遊廓の主人。遊廓内で絶対権力を持っていました。また、遊廓主の家族(妻や子ども)も、強い権限を持っていたと言われています。

 

女衒(ぜげん)

若い女性を売買する、人身売買の仲介業者。遊女としての品定めが主な仕事であり、遊女として資質が優れた若い女性を買い付け、遊廓主に売り渡しました。

 

弾左衛門(だんざえもん)

遊廓の治安を担っていた役職。江戸時代、奴隷身分とされた穢多(えた)、非人(ひにん)の頭領であり、代々世襲制でした。遊女が遊廓外に逃亡するようなことがあると、部下と共に捜索をするなどの役目を負っていました。

 

穢多役人(えたやくにん)

弾左衛門の部下。遊廓の治安維持の仕事をしていました。

 

遊女付き

遊女の身の回りの世話をする女性。主に未成年の少女がこの仕事に就きました。太夫(たゆう)などランクが高く稼ぎの良い遊女には専属の遊女付きがいました。このような専属の遊女付きになれるのは、将来遊女として有望な器量のいい少女でした。

 

やり手

年齢的に客を取れなくなった遊女は、遊廓主によって「やり手」と呼ばれる仕事で再雇用されることがありました。やり手とは遊女を監視・監督する立場の者で、大半が元遊女でした。新米遊女への教育や働きの悪い遊女に対する折檻まで、遊女に関するあらゆる仕事をこなしました。遊女時代に遊廓主に上手く取り入っていた者がやり手として再雇用されるケースが多かったようです。

 

雑用係

やり手と同じで年齢的に客が取れなくなった遊女が、遊廓主に雑用係として再雇用されました。

 

意外! 日常で使っているあの言葉は遊廓が発祥だった!

普段の何気ない会話に、遊郭で使われていた言葉が混じっていることも……。そんな遊廓発祥の意外な言葉を集めてみました。

 

お茶をひく

 

風俗嬢に一日お客様がつかない状態のことを「お茶をひく」と言いますが、これは遊郭で誕生した言葉。客がつかない遊女は一日中お茶葉を臼でひいて茶粉を作っていたのが語源と言われています。

 

あがり

寿司屋で出てくるお茶=あがりも遊廓が由来。遊廓では客が付かない遊女を「お茶ひき」と言い、お呼びがかかった遊女は「おあがりさん」と言ってお座敷にあがることができました。そこで縁起を担いで、お茶を「あがり」と呼ぶようになりました。

 

裏を返す

遊郭で一度遊んだ遊女をリピートすること。現代風に言うなら、本指名のことです。指名するとその遊女の名前が書かれた木札を裏返していたことが由来です。遊廓には「一度指名した遊女を変えてはいけない」というしきたりがあったとか。

 

1本

一日に接客した人数を風俗では1本、2本と「本」で数えます。これは遊郭で客一人の滞在時間を計るのに、線香を使用していたため。線香一本が燃え尽きるまでの時間は約30分間だったそうです。

 

冷やかし

江戸時代、吉原遊郭近くには紙すき職人が多く、紙を水につけている暇な時間帯に遊女をただ見て回ったと言われています。そんな紙すき職人たちが、遊女の誘いを「(紙を)冷やかしているだけだ」と断っていたのが語源と言われています。

 

キザ

漢字に直すと「気障」。これは遊郭で使われていた「気障り」の略で、気持ちに差し障りがある言動をする客や遊女を「気障(キザ)」と表現していましたが、やがて気取った雰囲気の男性を差す言葉になりました。

 

カマトト

カマトトとは「ぶりっこ」の意味。「カマ」はかまぼこ、「トト」とは赤ちゃん言葉で魚を指します。昔、遊女がカマボコの原料が魚なのを知らないふりをして「カマボコはトトでできているの?」と聞いたのが始まりだと言われています。

 

指切り

指切りは遊女が好きになった客に誓いをたてる意味で、大切な小指の先を切って贈ったという風習が由来とか。「指切りげんまん」の歌は、裏切った相手にはげんまん(拳で一万回殴る)したうえに針を飲ませるという約束の重要さを表しています。

 

都内だけでも21箇所?! 日本全国に遊廓はこんなにあった

遊廓と聞いても、吉原しか頭に浮かばないという方も多いと思います。しかし、実は都内だけでも全盛期には遊郭は21箇所もあったとか(『ダークツーリズム・ジャパン』編集長・中田薫氏談)。

全国の遊廓所在地を調査した資料としては、1931年(昭和6年)に内務省警保局が編んだ『公娼と私娼』があります。かなり古いデータですが、当時の雰囲気を知るためにも所在地の数を紹介してみましょう。

【北海道】
北海道…45 

【東北】
青森県…13 岩手県…17 宮城県…12 秋田県…10 山形県…26 福島県…25 

【関東】
茨城県…7 栃木県…21 埼玉県…2 千葉県…6 東京都(東京府)…10 神奈川県…13

【北陸】
新潟県…20 富山県…11 石川県…16 福井県…9

【中部・甲信越】
山梨県…2 長野県…1 岐阜県…4 静岡県…20 愛知県…4

【近畿】
三重県…30 滋賀県…10 京都府…17 大阪府…10 兵庫県…10 奈良県…3 和歌山県…3

【中国】
鳥取県…2 島根県…6 岡山県…9 広島県…19 山口県…41

【四国】
徳島県…2 香川県…7 愛媛県…3 高知県…5

【九州・沖縄】
福岡県…9 佐賀県…9 長崎県…23 熊本県…4 大分県…5 宮崎県…5 鹿児島県…1 沖縄県…1

計538箇所

 

何と、日本全国に538箇所。1946年(昭和21年)にGHQが公娼廃止指令を出す前とは言え、この数はすごい。日本は昔から風俗大国だったのがよくわかりますね。

 

遊廓まとめ

今ではすっかり馴染みが薄くなった遊廓ですが、全国のソープランド街などは遊廓跡地に作られているケースが多く、現代の風俗とも切り離せない関係にあります。

また、当時の情趣をたたえた建物がわずかながらに残る地域もあり、訪れてみるとそこで働いていた遊女たちと客のロマンを肌で感じます。

かつて遊廓が存在し、そこに遊女たちが生きていた――その歴史の重みをいつまでも記憶にとどめておきたいものです。

江戸時代の花魁セックス事情~遊女の避妊法から性のテクニックまで~

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廓(くるわ)だん吉

廓(くるわ)だん吉

風俗雑誌の編集部を経て、現在は風俗&アダルト関連記事のライターとしてウェブサイトをメインフィールドにコラムを執筆中。柔らかい記事からちょっと社会派な硬い記事まで大局的な視点で風俗業界を斬っていきます♪


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