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昭和レトロ風俗『ノーパン喫茶』が現代日本に果たした役割とは?

昭和も遠くなりにけり――。

昭和時代には色々な風俗が流行りましたが、その中でも異彩を放ったのが「ノーパン喫茶」です。

ノーパン喫茶とは読んで字のごとく、ウェイトレスがパンツを穿いていない喫茶店。画期的なアイデア風俗として大人気を誇りました。

今回はそんなノスタルジックなレトロ風俗「ノーパン喫茶」を振り返ってみます。

ノーパン喫茶はいつ誕生したのか?

ノーパン喫茶がいつどこで誕生したかについては諸説あります。

1978年
「ジャーニー」(場所:京都府西賀茂)
※1981年説もあり

1979年
「ピンク喫茶」(場所:福岡県博多)

1980年
「あべのスキャンダル」(場所:大阪府)

深夜番組の突撃風俗レポートでおなじみだったポルノ映画監督の山本晋也さんは、大阪か福岡が発祥地の地と公言しているようです。

また、1980年にはすでに東京にもノーパン喫茶があったとも言われています。

筆者は以前、吉原で超高級ソープランドの責任者を務めるA氏から「ノーパン喫茶を最初に始めたのは自分だ」という話を聞いたことがあります。

曰く、京都で「ジャーニー」が有名になる以前に西日本の某地方でノーパン喫茶を営んでいたとか。都市伝説のような話ですが、数々のアイデアで吉原屈指の人気店を築き上げた氏だけにあながちウソではないかも。もしもこれが本当なら新説ですけどね。

 

ノーパン喫茶のサービス内容は?

ノーパン喫茶で働くウェイトレスは、上半身はトップレス、下半身はミニスカートにノーパンというスタイルが一般的でした。

基本的に「お触り」はできません。客はコーヒーを注文し、ひたすらウェイトレスの股間を覗いて時間を過ごしました。

中には手鏡を持参して股間を覗き込んだり、ジッポライターなどの表面に股間を映したりする人もいて、合法的な覗き行為をこっそり楽しんでいたのです。

また、床が鏡張りになっていてスカート内が見えるように工夫されたノーパン喫茶もあり、連日のように男性客がつめかけていました。

料金はコーヒー一杯で1,000円。大体、一杯のコーヒーで30分といった時間制になっていました。現在ではド○ールの最高級ブランド店でもコーヒー一杯で1,000円しますから、そう考えると案外安かったと言えるかも知れませんね。

ウェイトレスは下半身ノーパンだったと上述しましたが、初期の頃はパンティを穿かずにパンスト一枚のみ着用というスタイルが多かったように思います。さすかに性器を丸出しは、はばかられたのでしょうか。

また、当時は現在のようにヘアヌードOKではなく、ヘア厳禁だった時代。そこで、ノーパン喫茶で働くウェイトレスは陰毛を剃ってパイパンにするのが流行りでした。しかし、すぐに生えてきてしまうため、毎日の手入れが大変だったようです。

 

ノーパン喫茶が生んだアイドル・イブさん

ノーパン喫茶で忘れてはいけないのが、アイドル人気を誇った「イブ」さんの存在です。

当時、新宿・歌舞伎町にあったノーパン喫茶「USA」で働いていたイブさんは、マスコミに取り上げられるや注目を集め、彼女を目当てに男性客が殺到して大人気となりました。

ちなみに、当時のインタビューによれば、その頃のイブさんの給料は時給3,000円だったとか。今の物価に換算すればかなりの高額です。

カリスマ的人気を誇った彼女は「ノーパン喫茶の女王」「歌舞伎町のアイドル」と呼ばれていました。また、風俗が生んだアイドルとして元祖「フードル」ともてはやされるようになったのもこの頃でした。

イブさんの人気は風俗業界のみにととまらず、やがて1984年にはロマンポルノ映画『イブちゃんの花びら』で主演デビューを果たします。また、AVやVシネマは元より、一般映画やテレビドラマにも出演するなどあらゆるジャンルでひっぱりだこでした。

また、1989年には彼女の妹・竹田愛美(家永翔子)がデビュー。「AVシスターズ」のユニット名で姉妹ヌードやストリップなどで大活躍しました。

1990年代以降は「神代(くましろ)弓子」名義で活動し、一時期の結婚・引退を経て2015年(当時52歳)まで熟女AV女優として活躍していましたが、現在は引退しています。

 

ノーパン喫茶はファッションヘルスの前身だった!

イブさんがいた歌舞伎町『USA』には「個室」が備えられていました。全盛期のイブさんはこの個室で一日に40名以上の客を相手したという逸話が残されています。

しかし、1984年に風営法が改正されると「個室付フロア」の業態は適用外とされたため、こうした店舗はノーパン喫茶として営業ができなくなってしまいました。

そこで、新たな業種として考え出された風俗が「ファッションヘルス」だったと言われています。

つまり、ノーパン喫茶はファッションヘルスの前身。ノーパン喫茶がなかったら今のような風俗の発展はなかった可能性もあるのです。そう考えると、ノーパン喫茶が日本の風俗の歴史にはたした影響は計り知れないものだと言えるでしょう。

 

ノーパン喫茶の進化形?「ノーパンしゃぶしゃぶ」とは

ノーパン喫茶からファッションへルスが誕生しましたが、もうひとつ、ノーパン喫茶から派生した風俗に「ノーパンしゃぶしゃぶ」があります。

コーヒーがしゃぶしゃぶに変わっただけで、システムはノーパン喫茶と同じです。ただし、しゃぶしゃぶだけに料金はかなり高価でした。

高級なしゃぶしゃぶ料理に裸のウェイトレス――何やら「接待」の香りがプンプンしますが、ノーパンしゃぶしゃぶの名を世に広めたのは、まさに一件の接待汚職事件でした。

平成10年、大蔵省(現・財務省)の違法な接待が発覚し、事件に関わっていた官僚7人が逮捕されました。その際、接待の舞台に使われていたのがノーパンしゃぶしゃぶだったのです。俗に、この汚職事件は「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」と呼ばれています。

ノーパンしゃぶしゃぶが接待に使われたのは、風俗的なサービスでありながら「飲食店」名義で領収証を落とすことができたからでした。

日本経済にも多影響を及ぼしたノーパンしゃぶしゃぶですが、残念ながら現在は絶滅し、その姿を拝むことはできません。

しかし、ノーパン喫茶がなければノーパンしゃぶしゃぶは存在せず、大蔵省が解体されることもなかったと思うと、昭和から平成にかけてノーパン喫茶が日本の歴史に与えた影響がいかに大きかったかをあらためて感じずには居られませんね。

※事件の舞台となった高級ノーパンしゃぶしゃぶ『ローラン』

 

ノーパン喫茶まとめ

今回はノーパン喫茶の歴史をざっと追ってみましたが、いかがだったでしょうか。

若い世代にはあまり馴染みが薄いかも知れないノーパン喫茶ですが、今の風俗の成り立ちを語る上では外せない存在だということがお分かりいただけたのではないかと思います。

ノーパン喫茶はもう存在しませんが、アメリカ発祥のフーターズなどはむしろ近い存在と言えるでしょう。かつて日本で流行した風俗のDNAが、時を経て海を渡ってやってくるとは面白いものです。

時代が移り変わっても「食」と「性」の密接な関係は変わらないということなのでしょうね!

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廓(くるわ)だん吉

廓(くるわ)だん吉

風俗雑誌の編集部を経て、現在は風俗&アダルト関連記事のライターとしてウェブサイトをメインフィールドにコラムを執筆中。柔らかい記事からちょっと社会派な硬い記事まで大局的な視点で風俗業界を斬っていきます♪


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