日赤『宇崎ちゃんは遊びたい』献血ポスターは環境型セクハラなの?

日本赤十字社が、人気漫画『宇崎ちゃんは遊びたい』の主人公である萌えキャラ・宇崎ちゃんとこラボした献血キャンペーンが物議を醸しています。

問題となっているPRポスターがこちら↓

ウエイトレスの格好に扮した宇崎ちゃんが

「センパイ! まだ献血未経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか~?」

そう呼びかけるこのポスター、とある外国人がツイッターで不快感を訴える投稿をしたところ、先の「キズナアイ騒動」でも大いに噛みついた神奈川県弁護士会所属の太田啓子弁護士がこれをリツイート。それをきっかけに大論争が持ちあがったのです。

太田弁護士は「本当に無神経だと思います。なんであえてこういうイラストなのか、もう麻痺してるんでしょうけど公共空間で環境型セクハラしてるようなものですよ」と指摘。

これに対してネットではこのような否定的な声が続出しました。

「表現の自由は「不快である」などの理由で制限して良いものなんでしょうか?」
「セクハラの定義を歪めすぎでは?胸が大きい女性は表にでてくるな!ということでしょうか。この程度のイラストにクレーム入れてるほうがよほど問題に思えます」
「このポスターを見て、今まで献血に興味を持たなかった層の方が興味を持ってくれるとしたら、大変有意義だと思います。このポスターを見て献血をやめようと思った方、いますかね。」

……etc.

賛成派の意見としては「イラストの女性が現実的ではない胸や体型になっていって、それに魅力を感じる男性がいるというのは正直理解できない」といった声が目立ちます。

中には、献血参加者に特製クリアファイルをプレゼントするキャンペーンを東京・秋葉原で行っていたことを受け「秋葉原限定なら場所の特性にもマッチしてるし何の問題もないんじゃない」「場所をちゃんと限定している所を評価すべき」という意見も見られました。

今回は議論を巻き起こしたこの『宇崎ちゃんは遊びたい』をもとに、性表現の自由(セクハラ問題)を考えてみたいと思います。

 

ところで「環境型セクハラ」って何なの?

「性表現の自由」問題の前に、太田弁護士が指摘した「環境型セクハラ」について説明してみましょう。セクハラはよく聞きますが、環境セクハラって耳慣れない言葉ですよね。環境セクハラとは一体何でしょうか?

日本では男女雇用機会均等法にセクハラの規定があり、第十一条では下記のように明確に定められています。

(職場における性的な言動に起因する問題に関する雇用管理上の措置)
第十一条 事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。

厚生労働省はこの条文を受けて「職場におけるセクシュアルハラスメント」を「環境型セクシャルハラスメント」「対価型セクシャルハラスメント」の2つに分類しました。

環境型セクハラの定義は下記の通り。

職場において行われる労働者の意に反する性的な言動により労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じること

具体例として、厚生労働省は「事務所内にヌードポスターを掲示しているため、当該労働者が苦痛に感じて業務に専念できないこと」を挙げています。

(ちなみに対価型セクハラとは、上司からの食事の誘いを断った女性部下が仕事から外されるなどの不利益を被るセクハラのことです)

太田弁護士の指摘に対して、同じく法曹界で活躍する吉峯耕平弁護士は「宇崎ちゃん献血ポスターが環境型セクハラというのは、法律の定義から見て間違いだ」と反論しています。

吉峯氏はツイッターでこのように述べています(一部抜粋)。

(環境型セクハラは)労働環境の悪化を想定した概念ですから、基本的には、被害者が環境に拘束されているというのが、大きな考慮要素になるでしょう。大田弁護士は、どういう意味で「環境型セクハラ」と言っているんでしょうね。労働関係ではないでしょう。

……まさに、快刀乱麻。鮮やかな反論です!

 

 

性規制はキリスト教と一緒に輸入された

さて、ここからが本題。

こうした性的表現の自由を巡る問題は、過去にも何度も取り上げられてきました。今回の問題も(厳密には)環境型セクハラではないにせよ、巨乳が強調された宇崎ちゃんのイラストを見て「いやらしい」と不快になる人がいることもまた事実。

なぜ「いやらしい」ことはダメなのでしょうか? え? そんなの法律で定められているからに決まってるでしょ……そう思う方が多いかも知れません。でもちょっと考えてみてください、どうして法律で禁じられたの??

『性表現規制の文化史』(亜紀書房/白田秀彰・著)という本にこんなくだりがあります。

国外からの視線に対しては、外国人に「日本人は、キリスト教徒ではないけれども高い道徳を備えている」ことを説明し宣伝するため、国内においては近代国家と国民皆兵のもとで、いっぱしの国民を育てあげるため、というわけです。

つまり、エッチなものはだめという考えが日本に広まったのはキリスト教の影響。もっと言うならば「明治維新以降」であると白田法政大学準教授は論じています。

明治維新が本格的に行われた1870年代、ヨーロッパはヴィクトリア朝時代の真っただ中でした。貴族たちは上品であることがよしとされ、性道徳が最も厳しい時期だったのです。

当時の日本はセックスに関するタブー意識が薄かった性の暗黒時代(笑)。夜這いや祭りでの乱交といった風習が根強く残っていました。そこで海外に「恥ずかしくない国」であることをアピールするため、キリスト教的な性概念が輸入されたと言います。

また、ミッションスクールなどができたことにより、キリスト教的な愛と純潔の価値観を規範とする性概念が普及していきました。こうした概念は、大正時代を経て、昭和の高度成長期時代を迎える頃には日本人の性的価値観として一般化したようです。

そのあたりの事情は下記の記事でも触れています。参考までにご一読ください。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

日本の風俗とディープキスの歴史について

 

 

性規制に対する良識は「集合意識」

しかし、ここでふと疑問に思いますよね。では、そもそもキリスト教ではどうしていやらしいことがダメなのか。その答えは明白で、聖母マリア様が処女懐妊したせい。つまり、イエス・キリストは性行為なしに生まれた超人的な存在だからです。

また、ヨーロッパ上流階級では財産の継承を巡るトラブルを避けるため、子孫の人数を制限する必要があったとか。そこで、女性に純潔を強要したり、男性の婚外セックスを規制したりすることが行われてきたのだと白田教授は指摘しています。

こうした背景から、アメリカでも婦人団体や宗教団体を中心に性的な表現への規制を求める声が高まり、1800年代頃に活発化しました。

しかし、アメリカと言えば「自由の国」。表現についても自由を重んじるアメリカ国内では1960年代半ば頃から性表現規制を見直す動きが出てきます。

そして、1970年に出した「猥褻とポルノに関する大統領諮問委員会報告書」で、アメリカ連邦議会は「判断力のある大人が見たいと思って見るならOK」という結論を出しました。アメリカでは無修正ポルノOKなのはそうした理由です。

 

……少々、話が脱線してしまいました。日本国内の性表現規制に筋を戻します。

日本で性規制に関するガイドラインが示されたのは、おそらく『チャタレイ夫人の恋人』裁判です。最高裁は過激な性表現が「最小限度の道徳」として普遍的に存在する「性行為非公然の原則」に反するもので、刑罰によって禁圧すべきだという判決を下したのです。

過去の判例では「いたずらに性欲を刺激・興奮させ」「普通人の正常な性的羞恥心を害し」「善良な性的道義観念に反する」ものはわいせつであるとみなされてきました。ただし、「正常な性的羞恥心」や「善良な性的道義観念」といった認識はは個人や時代背景によって変わるものです。

これまでの性表現の歴史を振り返ると、1990年代にはヘアヌードの事実上の「解禁」がありました。また、近年はインターネットによって無修正写真や無修正動画などが当り前に見られる時代となっています。また、コンビニから成人雑誌が一掃された一件を考えても、性表現の自由がいかに移ろいやすいものか分かるでしょう。

このように、性表現のゾーニングは時代によって劇的に変化するのです。だからこそ、性表現の自由についてはもっと柔軟に議論が必要だと思います。

 

 

性表現の自由はあった方がいい

筆者は今回の『宇崎ちゃんは遊びたい』問題については「そんなに目くじら立てなくてもいいんじゃない?」と考えています。だって、おっぱいや性器をモロに露出しているわけでもありませんからね。

そもそも広告などのポスターにセクシャルなイメージを応用して購買意欲をそそったりするのは昔からよくある手法。詳しくは『メディア・セックス』(集英社文庫/ブライアン・キイ著)などを読んでみると参考になります。

確かに、宇崎ちゃんのポアスターがかなり巨乳を強調したものであることは否めません。こうした「ロリ巨乳」的な絵柄を不快に思う人(主に女性)が多いのもまた事実でしょう。

しかし、上述した通り、不快に思うかどうかは人それぞれです。誰かが不快に思っているから、という理由で禁じるのは「表現の自由」に反します(ガチなロリは性犯罪なので絶対NGですが)。

わいせつの概念に個人差がある限り、『宇崎ちゃんは遊びたい!』のような問題は繰り返されるでしょう。SNSで個人の見解を簡単に発信できる今のご時世、太田女史のような反対派は必ず出てくるからです。

おそらくそれでいいのだと筆者は考えています。あらゆる人が納得する価値観なんてこの世には存在しません。色々な意見や考え方があって、それをあーでもないこーでもないと主張し合える。そんな多様性のある社会って楽しいじゃありませんか。

結論:

『宇崎ちゃんは遊びたい』騒動は環境型セクハラではありません。

それに……性の「表現の不自由展」、筆者的にはいかがなものかと思います!

 

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廓(くるわ)だん吉

廓(くるわ)だん吉

風俗雑誌の編集部を経て、現在は風俗&アダルト関連記事のライターとしてウェブサイトをメインフィールドにコラムを執筆中。柔らかい記事からちょっと社会派な硬い記事まで大局的な視点で風俗業界を斬っていきます♪


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