「常識」というもの

こんにちは。テクニカルのOです。
今回は「常識」というものについて、ちょっと考えてみたいと思います。
 
普段、何気なく「常識」という言葉を使うときに、みなさんは、その意味について、考えたことがあるでしょうか?
辞書で調べてみると、
(1)ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。
(2)「共通感覚」に同じ。
–goo辞書–
とあります。
付け加えると、「一般社会において、もっていないと恥ずかしいと思われる知識や判断力」とも言えるでしょうか。
そういう意味でも、この言葉が使われる場面は、「?は常識に欠ける」「そんなの常識だろ」とか、だいたい相手を叱るときだと思われます。
しかし、このように「?が常識」と断定する場面は、本当に正しい場面なのでしょうか?
 
たとえば、会社での「常識」として、よくある事例に、「外部からの電話が鳴ったら、すぐに受話器を取る」「なるべく新人さんが電話を取り、取引先などに名前を覚えてもらう」というものがあります。
電話を取ったら、用件を聞き、担当者に電話を回します。
確かに、その通りで、なかなかうまい仕組みだな、と思うのですが、これが「常識」かというと、どうでしょうか?
IBMかどこかの大手企業では、電話の取次ぎをする時間が無駄だとのことで、全社員に携帯電話を持たせて、直通でかけてもらうようにしているそうです(無論、代表電話など、完全に直通のみにするのは難しいでしょうが)。
この事例で言えば、どちらも理にかなっています。会社規模によるとも言えますが、このように視点が違えば、意見も違うわけで、つまり、どちらも「常識」とは言えないわけです。
 
「常識」というものは、先人たちが考えた末に、たどり着いた効率的な手法ではありますが、現代に生きる自分たちが使うときには、それなりに完成されたものであるがために、脊髄反射的に何も考えずに使ってしまいがちです。
「常識」という言葉自体にも、「何か従わなければならないもの」というイメージがあって、言われた側も、納得しなければいけないんだな、と思ってしまうのでしょう。
 
しかし、既存のものを打ち壊していくという創造性が求められる現場で、「常識」という言葉の魔力を多用すると、おそらく何も新しいものが生まれてこなくなります。
「常識」という言葉を口に出しそうになったとき、ちょっと立ち止まってみれば、何か新しいものが見えてくるかもしれません。
 

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