栄光の歴史の果てに

入店以来半年と8日。
日々の業務に忙殺されながらも、ますますわが社の可能性に確信を深めつつある、西川口店のM本と申します。
 
3回転や4回転に挑んだ浅田真央とプルシェンコではなく、手堅くまとめたキム・ヨナとライサチェクが金メダルを手にしたバンクーバーの結果から「チャレンジャーが勝者たりえない時代」を感じた方も多かろうと思います。
「4回転を飛ばない者が勝つなら、アイスダンスと名前を変えろ」と嘯くプルシェンコの姿や、「史上初の3回転3回」と喧伝する日本のマスコミの醜い負け惜しみにくらべ、浅田真央の悔し涙のなんと潔いことか。
ただ金が欲しかったのでしょう。
あの方法で金が獲れると信じていたのでしょう。
けれど、どれほど凄い技術を誇ろうとも、本番でミスをしては意味がない。
「2010年のオリンピックで勝つ」というただ1つの目的のためには、明らかな作戦負けであったのだと思います。
 
奈良時代の遊行女婦(うかれめ)を始祖とする日本の性風俗は世界的にも類をみないほどのおおらかさで、後の花魁文化を頂点とするほどに華やかでしたが、「近代国家の仲間入りをしたい」などというスケベ心を巧みにくすぐる外圧によって、昭和31年「売春防止法」を制定するに至ります。
その結果「トルコ」(当初のトルコは美人女性による正統的なマッサージ店であった。後年「オスペ」と呼ばれるハンドサービスが登場。)と「ピンサロ」という二大「非」本番風俗が産声を上げ、空前の風俗大国への道をひた走ることとなりました。
昭和58年、任天堂のファミコンが世に出た頃、歌舞伎町にファッションヘルス「アメリカンクリスタル」とイメクラ「スーパーギャル」がオープン。
風俗の新しいアイデアもここまでかと思われましたが、「テレクラ」「ブルセラ」「性感ヘルス」「抜きキャバ」と、とどまるところを知らず。
昭和60年、増えすぎる風俗店に歯止めをかけるべく「風営法」が改正され、新規店舗のオープンは難しくなったものの無店舗型が急増し、マンションの郵便受けや街の電話ボックスがピンクチラシで埋め尽くされる事態に。
 
「なんとか目立たないようにやってくれ!」という、お上の悲鳴にも似た平成11年の風営法再改正により、届出さえすれば容易にデリヘルの開業が可能となり、インターネットの爆発的な普及と相俟って、17年、「派遣型ファッションヘルス等」の届出は2万5千件を超える勢い。
 
ところが翌18年、みたびの改正。
届出書類の中に「営業所等の使用について権原を有することを疎明する書類」、すなわち大家さんの承諾が必要とされ、多くの経営者が廃業。その年の届出は前年の約三分の一にまで落ち込みました。
 
サラリーマン起業家の夢と希望をのせて走り出したデリヘルの多くが道半ばで挫折し、今も勢いがあるのはチェーン展開する大手と、特殊なサービスを提供できる少数のお店のみ。
連綿と続く性風俗史の、ここが終着駅なのでしょうか?
いまだ光明を見出せない長い不況のトンネルと、もはや手の打ちようもないかと思われる少子高齢化。
デリヘルで成功しようと考える者にとって、好材料はないのでしょうか?
 
そんな馬鹿げた話のあろうはずがありません。
このコラムを真剣にお読みくださる皆様ならばお気づきの通り。
キーワードは「浅田真央」「成熟社会」「シンデレラFCグループ」です。

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