愛は地球を救わない、ただ風俗のみが。

入社9ヶ月と18日、西川口店のM本でございます。
このブログに投稿させて頂くのも今回で5回目。
このたびは、風俗業という営みがいかに素晴らしいものであるかを実証しようという試みです。

毎年夏になると某テレビ局が大々的なキャンペーンを張るあの国民的番組。果たしてあの企画は、地球を救う事につながっているのでしょうか?

福祉をテーマとし、困難な生と闘う人々への募金活動を主軸としたこの番組は人類に対する愛を高らかに謳いますが、地球に対する貢献はせいぜいがゴミ拾いどまり。

お涙頂戴的分かりやす過ぎる演出で一定の効果を上げてはいるものの、「地球を救う」など大言壮語も甚だしいと言わざるを得ません。

彼らの言う「愛」とは何物であるのか?
「愛」は日本において古来「かなし」という音にあてられ、相手をいとおしい、かわいいと思う気持ち、守りたいという思いを抱く様、を表しました。

近代に入り西洋での語義が導入され、「エロス」「ストルゲー」「フィーリア」「アガペー」などの意味が混同して使われるようになりました。

現在この国で最も一般的に流通している「愛」はもちろん、主に異性間の肉体的な愛を指す「エロス」。

巨大な経済的効果をもたらす「エロス」的啓蒙に、多くの人々が無条件降伏。人生で最も大切なものは「愛」である、などと言った脳天気な妄想をよく耳にします。

しかし、ここで言う「愛」はおそらく、自分を与える事で他人を生かす愛、すなわち「フィーリア」を指すのでしょうか?

それはつまり、人格高潔にして政治的無能の極みをさらした残念な宰相のキャッチフレーズ「友愛」のことなのでしょうか?

「友愛」という言葉は、フランス革命の三つの理念「自由」「平等」ともう一つ「Fraternity」の誤訳「博愛」を正した言葉として知られますが、すなわち同胞愛、仲間同士で愛し合いましょう、というお話です。

この理念を旗印に遂行されたかの革命では、20世紀の両次大戦のフランス人犠牲者数よりはるかに多くの人々が殺戮された事実を、いまだお幸せな歴史教科書は教えようとしません。

かつては一つの国の中でも理念を同じくする者達のみを指していた「同胞」という言葉も、今ではユーロ圏のある程度の成功や、アジア共同体構想や、史上初のアフリカ大陸におけるワールドカップ開催などによって、かなりその守備範囲を広げつつあります。しかしながらその域は、未だ人類を超えるに程遠い状況です。

自然状態で存在する食物だけで養える人間の数は、約5000万人。農耕、牧畜、養殖などによって人為的に生み出された食物を加えても、その限界は約10億人。という定説をあざ笑うかのように、2010年6月18日現在、世界の人口はすでに68億7450万人を超え、1分に152人、1日で22万人、1年で8000万人という恐ろしいスピードで増え続けています。

こんな状態で、世界中の人々が満たされるわけがありません。

新総理の「最小不幸社会」を目指すという極めて卓越した発想はしかし、衣食住にこと足りたごく僅かな先進国においてのみ通用する発言で、飢えや貧困に日々苦しみ続ける世界中のあまたの国々からすれば、別世界の世迷いごとに他なりません。

新政権に期待は致しますが、「子供手当て」だけはあまりにもいただけません。バラマキ云々といった低次元な議論ではなく、そもそも子づくりを奨励するなど何事か、と思います。

人類の発展を望むのは、ひとり人類のみ。

他のすべての動植物からすれば、一刻も早く消えてなくなって欲しい存在であるという事実。「人口が減り国力が衰える」など、先進国のエゴもここに極まれり。新しい人間を造り出すという行為は、現在の地球にとって「悪」以外の何物でもありません。

すでにある命を故意に失わせるのは、たしかに倫理的問題が大きすぎるかも知れません。しかし「環境ラディカリズム」というドイツ発祥の思想集団は大真面目に言います。

「アメリカの人間が1人死ねば、アフリカの人間50人分の資源が節約できる。だから、戦争やテロによって先進国から順番に人が死んでいくのが地球環境にとって望ましい」と。

1人当たりの資源消費量では、日本はアメリカに次ぐ世界第2位。50人には届かなくとも、47〜8人分は節約できるでしょう。

それでもまだどうしても、国内に大勢の人間が欲しいというなら、移民政策を見直せば良い。生まれてしまった子供達を養う事の出来ない悲しい環境の国々に対し、積極的に子育てを引き受ける旨、申し出れば良いのです。

子供だけに限らず、永住権や帰化もどんどん認めなければ、2005年以来1年に60万人、おおよそ新潟市ひとつ分の人口が減り続けるこの国の、構造的デフレを止めることは出来ません。

与野党の議員グループや経団連から、人口の約一割にあたる1000万人の移民受け入れ政策が提言されていますが、なかなか国民的な議論には発展しません。

「豊かさ」という病理を抱え、「単一民族幻想」にとりつかれた日本人には今こそ、「日本人は増やしても、せめて人間の数は増やさない」という理性が求められるのではないでしょうか?と言うよりもはや、それのみが私達に許された道であると思います。

人間の数を増やさないためにはどうすればよいのでしょう?

簡単です。
生殖行為を行わなければ良いのです。

しかし性的快感は、タバコ・酒・薬物・ギャンブル・ある種のゲームと並び、ドーパミン神経の反応低下が証明されている強い依存対象のひとつ。

最近では有名プロゴルファーのSEX依存症が話題となりましたが、あのレベルまで進行すると独力で立ち直るのは不可能。面白がって批判すべきではなく、「中毒」という名の明らかな病気。同情し、看護すべき事態です。

一度知ってしまった性的快感そのものを人々から取り上げるのは、容易な事ではありません。それに、他の依存対象と違い、性的行為は身体にやさしい。適度な運動を伴い、むしろ健康的でさえあったりもします。

となれば、「子宝」だの「子はカスガイ」だのといった前時代的妄想を駆逐し、政治的利便性のために創られた「家庭」という概念を根本から見直し、生殖につながらない性的行為を奨励すべき、だとお思いになりませんか?

「子供手当て」ではなく「子供つくりません手当て」をこそ発動していただきたい。

生殖を廃し、純粋な性的快感のみを提供する風俗店。

居酒屋さんやパチンコ店と同様、人々にとってなくてはならない享楽の場としての風俗店。
やがて風俗は、人類のみならず、地球をも救う存在となり得るのです。

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