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デリヘル、フェチ風俗、援助交際……平成風俗の30年史を振り返る

平成時代が始まって、ちょうど30年。

来年(2019年)51日からはいよいよ新たな元号がスタートするわけですが、この30年の間に風俗業界にはいろいろな出来事がありました。

そんなわけで、今回は平成風俗の変遷をざっとおさらいしてみたいと思います(ちょっと気が早いけど)。

昭和の風俗ビッグバンから平成風俗の歴史が始まった

と、その前にまずは平成風俗前史――古き良き昭和の性風俗のお話から。

デリヘルを始め、ホテヘル、イメクラ、オナクラ、性感エステなど、性風俗が現在のダイバーシティ=多様性を得たのは、昭和53年のノーパン喫茶誕生がきっかけでした。

それまでの風俗は、ソープランドやピンクサロン、ちょんの間あたりが主流。どちらかと言えば、借金などで困窮した女性がやむを得ず身を売るといった暗いイメージが漂っていました。

しかし、ノーパン喫茶がそのマイナスイメージをガラリと変えました。

触らず、触られず、脱ぐだけで、OLの給料の数倍を稼げるとあって、若くて可愛い素人娘が次々と流入。風俗から悲壮感を払拭し、明るいエンタメ風俗へと変革をもたらしたのです。

この頃から風俗嬢はマスコミにもてはやされるようになり、フードルと呼ばれるアイドルが登場。当時、ノーパン喫茶で働いていたイブちゃんはAVやピンク映画にも出演して大人気となります。

1982年(昭和57年)頃からノーパン喫茶の摘発が始まると、ブームは沈静化に向かっていきました。

その頃、ノーパン喫茶の進化形ともいうべき店が登場し、話題となりました。新宿・歌舞伎町の『USA』(当時)です。

この店はノーパン喫茶に個室マッサージを併設した点が画期的でした。今で言うファッションヘルスの原型とされています。

下火となっていたノーパン喫茶は、次々に『USA』の真似をして個室マッサージ店に鞍替えしていきました。

ほぼ同時期に、のぞき部屋トップレスへルスといったニュー風俗が台頭。風俗業界は一気に盛り上がりを見せます。

そうなると、当局は黙っているはずありません。1985年(昭和60年)には新風営法が施行。以降、ファッションへルスは公安委員会への届け出対象となったのです。

当時、日本はバブル経済の真っただ中。日本中が好景気に沸く中、風俗業界も熱気を帯び、大いに盛り上がっていました。

そして、その熱気は平成風俗へと受け継がれていくのです。

↓↓↓↓前回の記事はこちら↓↓↓↓
風俗の国・日本に生まれてよかった! 風俗の歴史をプレイバック

 

平成風俗の流行~出会い系風俗、M系風俗~

1989年、昭和は終焉を迎え、いよいよ平成時代へと突入。

ファッションヘルスは相変わらず人気でしたが、1991年、池袋に新たなサービスとしてイメージクラブ(イメクラ)が登場し、一躍話題となりました。

従来のファッションヘルスが裸でプレイをスタートするのに対し、イメクラはコスプレをウリにしていました。女の子の服を脱がす行為を楽しめるのが新鮮でした。

イメクラの登場により、ソフトSMが一般化しました。それまでマニアだけのプレイと思われていたSMのハードルが下がり、風俗ファンの間に普及したのです。

以降、風俗業界はマニアックな方向へと進化します。性感ヘルス痴女系ヘルスといったM系風俗が一気に花開き、フェチ風俗が盛んになっていったのでした。

一方、平成風俗には別の潮流がありました。

平成風俗を語る上で外せないのが、援助風俗出会い系などの素人系風俗の台頭です。

時代が昭和から平成に移り変わった1989年(平成元年)、ダイヤルQが一世を風靡しました。

さかのぼること7年前、1982年(昭和57年)に『愛人バンク 夕ぐれ族』なるデートクラブが出現。素人娘の間で売春行為がすでに流行していました。

そして、1985年(昭和60年)に新風営法が施行されると、テレクラが登場。当時、電話は最近の出会い系ツールだったのです。

1991年(平成3年)頃にはブルセラショップが登場し、素人女子高生の使用済み中古下着が売買されるようになると、こうした売春行為にますます拍車がかかりました。

1994年(平成6年)にはダイヤルQを使った『援助交際クラブ』が登場。援助交際という言葉はマスコミでも使われるようになります。1996年には携帯版出会い系サイトも出現し、援助交際は一大ブームに。その年の流行語大賞にもノミネートされました。

2000年代に入ると、出会い系喫茶などのリアル出会い系が話題に。出会いの前に相手の顔を実際に確認できることから人気となりました。

2003年に出会い系サイト規制法が施行されましたが、その後もJKリフレほか新たな風俗が誕生。援助交際は今も水面下で盛んに行われているようです。

 

平成風俗のターニングポイント! デリヘルの誕生

平成風俗の歴史は、デリバリーヘルス(デリヘル)の歴史であるとも言えます。

デリヘルが登場したのは1998年(平成10年)、新風営法の改正に伴い、“無店舗型性風俗特殊営業”として設けられました。

当時、店舗型ヘルスやイメクラがあまりにも増えすぎたため、マンションやビルのテナントが慢性的に不足していました。そこで、新たな営業形態として考え出されたのがデリヘルだったのです。

デリヘルは電話一本あれば開業できるため、手軽さから一気に店舗数を増やしていきました。1998年(平成10年)には開業の際に届け出が義務付けられましたが、参入障壁のハードルの低さは相変わらずと言えるでしょう。

デリヘルの登場によって、それまで店舗型で営業していた風俗店は軒並み、無店舗型へと姿を変えていきました。ファッションヘルス、イメクラを始め、性感ヘルス、オナクラ、エステ、etc.

2004年(平成16年)頃には、闇営業を続けていた店舗型ヘルスが次々に摘発され、多くの店舗がデリヘルに転業。無店舗型風俗の数はますます急増しました。

2010年代に入ると、デリヘル業界に様々なアイデア風俗が登場しました。4,000円を切る破格の料金で遊べるお店や、あえて“地雷”の女の子ばかりを集めたお店など。

今やデリヘルは風俗の主流となっています。

 

オナクラ・エステの台頭とライト風俗全盛の平成風俗

草食系男子という言葉がマスコミに登場し始めたのは2006年(平成16年)のこと。

それを予感させる風潮が、すでに風俗業界にはありました。ライト風俗の登場です。

平成時代に誕生したライト風俗の代表格に、オナクラがあります。

オナクラが生まれたのは、2000年頃とされています。今でこそ手コキサービスをする店も多いようですが、当初のオナクラは文字通りの『オナニークラブ』。男性客のオナニーを女の子が手伝ってくれるのがコンセプトでした。

サービス内容がライトゆえに格安料金で遊べると人気でしたが、2005年(平成17年)に風営法が厳格化されたことで多くの店がデリバリーに転業。サービスが過激化しています。

オナクラ以前にも、手コキサービスをウリにする風俗店は存在していました。

1990年(平成2年)頃にはビデオボックスなる風俗が登場し、AV鑑賞の途中に女の子が手コキで抜いてくれるというサービスが行われていました。

また、1997年(平成9年)頃から韓国エステがヌキサービスを取り入れるようになると、手コキを主としたライト風俗が急成長していったのです。

2010年(平成22年)には洗体エステが沖縄から上陸。厳密には風俗店ではなく、ヌキなしの寸止めサービスでしたが、一時期ブームとなりました。

しかし、寸止めサービスがあまり受け入れられなかったのか次第に下火に……。

現在は、密着マッサージと性感(手コキ)サービスをウリにした風俗エステが人気を集めています。

 

平成風俗のまとめ

平成風俗を総括してみると、この30年間で風俗業界全体がライトな方向にシフトしたのではないかという気がします。

これは悪い意味で言っているのではありません。

草食男子などが取り沙汰されている昨今ですが、決して性欲が希薄になったわけではなく、偏在化したということ。むしろ、性癖そのものはよりフェティッシュになり、変態度がアップしたようにも思えます。

平成時代は、言わば一億総風俗化30年間でした。風俗の素人化(もちろん、いい意味で!)が進み、プロと素人の境目がなくなってきた時代と言えるのではないでしょうか。

もうすぐ終わりを迎える平成時代。来たる次の時代にはどんな風俗が生まれるのか、今から楽しみです!

(↓↓↓↓この記事の続きはこちら↓↓↓↓)
【新元号目前】風俗の将来はどうなる? 近未来フーゾクを予想してみた

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廓だん吉

廓だん吉

自称・風俗ウォッチャー。高校卒業後、金津園で童貞を喪失したのをきっかけに風俗遊びにどっぷりハマる。風俗雑誌の編集をしていたこともあり、仕事とプライベートで接した嬢の人数は軽く一千人以上。


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