風俗へ転職をする男性が知っておきたい「古代から平成時代まで~性風俗の歴史」をプレイバック!

デリヘルを始め、ソープランド、イメクラ、オナクラ、ピンサロなど、多様な風俗遊びが楽しめる日本。

歴史上、これほど男性向けの性風俗のバリエーションが豊富な国は世界中のどこにも類を見ないと言っていいでしょう。

古くから性におおらかで寛容なお国柄と言われていますが、日本に風俗が根付いたのはいつ頃のことなのでしょうか。

風俗スタッフ求人をご覧の男性の皆さんが、いざ風俗へ就職をする前に知っておきたい「日本の風俗の歴史」を振り返ってみます。

古代日本の神々は風俗遊びが大好きだった!?

日本には神話の時代から性風俗が存在した、と聞くと、歴史に興味のない方でも「えっ、マジで?」と驚くかもしれませんね。

でも、これって本当の話。

古事記や日本書紀に出てくる天の岩戸伝説という話を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

洞窟に隠れてしまった太陽の神様・天照大神(あまてらすおおみかみ)に出てきてもらうため、アメノウズメノミコトが踊ったという伝説です。

岩戸伝説には、アメノウズメノミコトが服を脱ぎながら踊って『乳は左に右に、上へ下へと揺れ動き、裾はめくれて女陰はあらわに見え隠れした』という記述があります。

つまり、古代から現代で言うところのストリップが行われていたわけです。

また、古代日本では、巫女が信者相手に性行為を行っていたという記述も見られます。今でこそ巫女は神聖な存在ですが、そんな話を聞くと……もはやエロい目線でしか見られなくなってしまいそうですよね(?)。

日本最古の和歌集・万葉集には早くも遊女が登場しており、当時から性風俗が盛んだったことがうかがえます。

有名なものが、遊行女婦(うかれめ)。

遊行女婦とは、各地を巡りながら、宴会の席などで客を楽しませることを職業にしていた遊女。現代で言うなら、お座敷コンパニオンです。

平安時代頃になると、彼女たちは歌や踊りを披露するだけでなく、売春も行いました。

また、売春だけでなく、観衆の前でセックスを見世物にする白黒ショーでも稼いでいたようです。こうしたセックスは男女間だけでなく、時には犬などと交わる獣姦ショーも行われたと言いますから、いかに日本人の歴史が変態の歴史だったか分かります。

鎌倉時代になると、武士が戦に赴くときなどに必ず遊女を同席させるようになりました。

宿駅を通過する際に多数の遊女を集める必要があったため、この頃から幕府はそれを管理するようになりました。これが日本における公娼制度の始まりだったと言われています。

源頼朝が征夷大将軍に命じられた翌年の1193年には、鎌倉幕府に遊君別当(ゆうくんべつとう)なる役所が設置され、国が売春を管理するようになります。12世紀までには、それまで各地を転々としていた遊女が定住するようになり、組織化が進んでいきました。

遊廓が公的に管理されるようになると、売春は国にとって税金のおいしい収入源とみなされるようになります。

室町時代には、足利氏が傾城局(けいせいのつぼね)という役所を設け、遊女から徴税するようになりました。

さらに、1585年には豊臣秀吉が大阪三郷に遊女町を認可。

1589年には京都二条柳町、1596年には京都伏見撞木町にも遊里の開業許可を与え、政府の管轄下に置きました。こうして、各地に公認の遊郭が増えていくことになったのです。

一方、政府の統制から外れた非公式な遊女が集まる場所も各地に存在しました。

そうした非公認の売春地帯には、宿場町の飯盛旅籠(めしもりはたご)や門前町の岡場所(おかばしょ)などがありました。

ここで働く私娼は、飯盛女(めしもりおんな)、あるいは飯売女(めしうりおんな)と呼ばれました。

 

江戸時代の立ちんぼは一杯のかけそば並みの料金

16世紀に入ると、銭湯などで売春を行う湯女という私娼が登場。現代で言うところのソープランド嬢のはしりです。湯女は風呂屋女とも呼ばれ、当時の庶民から人気だったと言われています。

他にも料亭を隠れみのにした売春もこの頃から行われていました。つまり、現代のちょんの間の形態がすでに完成していたというわけです。

江戸時代には公娼、私娼を合わせると、現代とは比べ物にならない数の遊女が存在していたと言われています。

その料金もさまざまだったようです。

最高値は江戸の公娼遊郭・吉原の呼出し昼三(よびだしちゅうさん)と称される高級遊女で、1両1分。現代の相場で換算すると10万円ほど(※諸説あります)ですから、今の吉原の超高級店と遊ぶぐらいの料金だったと言えます。

ちなみに、吉原ではこうした高級店以外の売春宿は局見世(つぼねみせ)と呼ばれていました。今で言うところの大衆店。その中でも比較的高めの店は金見世(かねみせ)と呼ばれていたとか。

一方、娼婦の中でも最安値だったのは、日が暮れてから路上に立って客を引く夜鷹(よたか)と呼ばれた街娼(今で言うところの、立ちんぼ)。彼女たちとは、一発24文(もん)で遊べたと言います。24文は、現在のレートで300円程度。かけそば1杯程度の値段です。

夜鷹は河原や草むらにゴザを敷いて屋外セックスをしていたそうですから、抱き心地はあまりいいものではなかったでしょう。年齢層は10代~70(!)まで実に幅広かったようです。

余談ですが、江戸時代にはストリップ小屋も盛んでした。小屋は意和戸(いわと)と呼ばれ、踊り子は男性の前でストリップや、性行為を見せる生板ショーを行っていました。もちろん、意和戸の語源は先述した天の岩戸伝説です。

やがて、明治維新によって海外の文化が入ってくると、日本の性風俗は国際的に問題視されるようになってしまいました。

1872年、ペルー政府が、遊女の人身売買は奴隷の強制であると日本を非難し、国際司法裁判に訴えます(マリア・ルス事件)。

政府は娼妓解放令などを発令し、表向きは人身売買を禁じましたが、管理売春はその後もしばらく温存され続けました。

 

戦後のニッポンに花開いた赤線地帯の歴史を振り返る

そんな状況に劇的な変化が訪れたのは、第二次世界大戦後のこと。

敗戦後の1946年、日本を占領下に置いたアメリカ政府の総合指令部・GHQは民主化政策の一環として公娼制度の廃止を命じたのです。

これによって営業できなくなった遊廓の多くは、カフェや料亭などに鞍替えして風俗営業許可を取ることになりました。

娼婦たちは女給に姿を変え、飲食店を隠れみのにして売春を続けたのです。こうした政府公認の売春宿が密集した地域は赤線と呼ばれました。

赤線は、特飲街(特殊飲食街の略称)とも呼ばれます。戦前の警察が、遊廓などの公娼施設がある地域を地図に赤線で囲んでいたのが、その語源と言われています。

こうした施設は一階がダンスホールや飲食店となっており、女給は二階に間借りしながら働くケースが多かったようです。女給たちは店頭に並び、道行く男性に声をかけて店内に誘っていました。

当時、進駐軍向けに設けられていた風俗営業施設も廃業したため、娼婦たちは赤線地帯に職を求めて押し寄せました。

一方、政府公認の赤線地帯ではなく、非公認の地域で売春を行う私娼もいました。こうした非公認の売春地帯は青線と呼ばれて区別されていました。同じく、地図に青線を引いていたのが語源と言われます。

やがてこうした売春行為が問題視され、1956年、売春防止法が遂に施行されることとなります。

この法律により赤線内のカフェや料亭は一斉に廃業を余儀なくされ、バーやスナック、ラブホテルなどに姿を変えていきました。また、吉原にはトルコ風呂(現・ソープランド)が開業。以降、全国の赤線地帯にトルコ風呂が次々に開業し、現在のソープ街へと変貌していったのです。

 

昭和に狂い咲いたノーパン喫茶、ファッションヘルス、etc.

昭和中期の風俗は、これらトルコ風呂を始め、飲食店を建前としたピンクサロンなどが主流でした。

時は移って1978年、ノーパン喫茶なる画期的なアイデア風俗が登場します。このノーパン喫茶こそ、昭和から今に続く風俗ブームのきっかけだったと言っていいでしょう。

ノーパン喫茶は京都西賀茂に誕生した『ジャーニー』が第一号だったと言われています。そのサービスは、ウエイトレスが下着を穿かずにノーパンで接客するというもの。

当初はストッキングを着用していましたが、格好は次第に過激になっていきました。サービス内容がソフトなことから、ノーパン喫茶にはアイドル並みに可愛い従業員が集まり、ここからフードルも数多く誕生しました。

また、ここから派生して新しい風俗のジャンルが次々に生まれました。ノーパン喫茶に個室が導入され、そこで射精サービスが行われるようになったことがファッションヘルスの始まりとする説もあります。

1980年代に入ると、ラブホテルで売春行為を行うホテトルが登場。マンションを利用したマントルという形態もありました。ちなみに“トル”はトルコの略。ソープランドの前身であるトルコ風呂をもじったものです。

さらには、デートクラブ、のぞき部屋など新しいサービスが次々と誕生し、日本の性風俗文化は成熟期を迎えることとなります。

昭和から平成にかけてさまざまなジャンルの風俗が隆盛を極めましたが、それぞれの成り立ちについてはここではとても書ききれません。

次回、稿を改めて詳しくご紹介しますので、どうぞお楽しみに!

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デリヘル、フェチ風俗、援助交際……平成の性風俗30年史を振り返る

 

昭和から平成、令和へ~風俗の歴史は続く

古代から平成までの性風俗の歴史をざっと振り返ってきました。

日本は世界に名だたる風俗大国として知られていますが、こうして見ると日本人の風俗好きは古代から脈々と受け継がれてきたDNAのように思えてなりません。

風俗の男性スタッフとして働き高収入を目指す上では、この「DNA」をどう利用するかが出世できるかどうかの肝なのかもしれません。

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廓(くるわ)だん吉

風俗雑誌の編集部を経て、現在は風俗&アダルト関連記事のライターとしてウェブサイトをメインフィールドにコラムを執筆中。柔らかい記事からちょっと社会派な硬い記事まで大局的な視点で風俗業界を斬っていきます♪


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